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2011年05月24日

エンゼル・トランペット

 地震の夢を見た。納得したが、自分にとって何が一番大切なものか良く分かった。もちろん、アヒルたちではない。ありきたりだが、娘の名前を呼んでいた。真夜中、目覚めたけれど涙で濡れていた。今、こうして書いていても、目頭が熱くなる。
 今朝のニュース。母親が、障害のある娘を風呂場に閉じ込め、折檻し、死亡させたと報道していた。とても、理解できる。自分の子が障害者であるということ。永遠の”首枷”なのだ。足でもなく、手でもなく、首に、きつく、重たいものが架かっている。母親は、殺意を認め、後は黙秘を貫いているようだ。理解してもらいたい、それを拒否しているのだろう。
 私のアヒル小屋にも、知的障害のある子どもが来る。日曜日だけの訪問だ。お母さんは、車から降ろさない。半分だけ開いた車の窓から、「アヒルさぁん、アヒルさぁん」と、呼びかけている。むろん、アヒルは返事しない。それでも、男の子は、「アヒルさぁん、アヒルさぁん」と何度も呼び続ける。ただそれだけだ。男の子も、アヒルも閉じ込められているので、なんだか、それぞれ見世物みたいだ。
 お母さんは、車のエンジンを切って運転席に座ったままだ。一度、目が合ったことがあって、お互い会釈をしたが、彼女には、干渉を拒む雰囲気が感じられたので、黙ってそのままにしている。親子は30分くらい、駐車してのアヒル見学のこともある。母親は、たいてい本を開いている。気になるので、そっと近づき、本の背表紙を盗みみた。ああ、やっぱりだ。スピリチュアル、というか、占い本のようだった。助手席には、あのテレビで有名な占い師の本があった。
 この親子をそっとしているのには、理由がある。実は見てしまった。
 近くに無農薬を看板にしたレストラン(小さいのですが)があって、そこを目指して歩いていると、見覚えのある軽乗用車が止まっていて、あたふたと運転席に駆け込んだ女の人が、発進させたそのとたん、痩せこけた顔のあの男の子が、運転席のドアにしがみつき、「ノテェテェーテェー」叫んでいるのだ。その顔は、グシャグシャだ。お母さんは中からロックしているのだろう、開かないのだ。男の子は、すぐに後部ドアを開けて乗り込んだ。その時、母親は運転席から飛び出し、男の子を車中から引きずり降ろした。そして、そのドアをロックした。痩せぽっちの男の子は、路肩からドアにしがみつき、「ノテェテェーテェー」と泣き叫んでいる。
お母さんが運転席に戻ったので、男の子は、全身汗まみれの姿で、反対側に周りこもうとするのだが、お母さんの殺気ばしった動きの方が、圧倒していて、彼女は、運転席から飛び降り、またもや、息子の手をドアから剥がしてしまった。
 3っつのドアから締め出された男の子は、「ノテェテェーテェー」と泣き続けるばかり。やっと、その子が「乗せて」、と訴えているのを理解したのだが、私の足はその場に釘付けになってしまった。そして、気がつくと、いつの間に現れたのか、オバアサンが、横で私に、
「あんたなんとかしなさいよ!」と、叫んでいる。オロオロと立ちすくんでいる私になおも、
「あんた、PTAでしょう、行ってきなさいよ」と、分けのわからないことを叫んでいるのだ。
 ところが、事態は終息した。お母さんはとうとう男の子を、助手席に放りこむように乗せたのだ。そして車は立ち去った。
 見渡すと、私、オバアサンだけでなく、たくさんの人が、実は監視していた。近くのアパートの窓に人の顔が見え、ある人は、階段の踊り場まで飛び出していたようだ。みんな、子どものただならぬ叫び声に仰天し、緊張したようだ。みんな、半ば安堵の表情でそれぞれの部屋に消えた。オバアサンもなにやらぶつぶつ言いながら後ろ姿で立ち去った。
 だから、その親子がアヒル見学に来ても知らんぷりをしているのだ。「ノテェテェーテェー」の男の子も悲惨だけど、私には、あの時のお母さんの姿の方が痛ましい。
 今日は雨。静かすぎて驚いた。雨宿りしていた。だから、雨にぬれた”エンゼルトランペット”を写した。
エンゼル・トランペット




Posted by あひる日和 at 23:06│Comments(0)
 
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